
つい最近Googlアドセンスの広告掲載の審査を通過することが出来まして感嘆の思いの中ただ今執筆させていただいている僕です😂
通過率は30%程というのを聞いていたので通ったらラッキーくらいの気持ちで申請したのもありすごいびっくりしました。
まだまだ新米のブロガーですが今現在のモチベーションは最高潮です🎆
これがずっとキープ出来る事を自分に祈るばかりです笑😅
ちょっとばかしゴチャゴチャした記事になると思いますがこれからもお付き合いいただきますようよろしくお願いします😌
さて今回は前回の1章の続きとしまして、正社員に雇用されてから今に至るまでをお話させていただこうと思います。
自分自身の人生の中では一番濃厚だった部分でして、今も書いている最中にお腹がキュッとなっています笑
楽しい事ばかりではなかったですが今の自分を形成している重要な期間ではあったのは間違いないと思っていて、シャレた言葉を使わせてもらうと僕のターニングポイントになる部分です😮
なるべく飲食店のイメージダウンにならないようお話出来るよう頑張ります🤣
目次
1.約4年の修行を経て

唐突ですが4年って長く聞こえますか?
今でもそれが長いのか短いのか分かりません。
その4年間はその人の感覚でしか分かり得ないのかなと。
いきなりこいつは何を語りだしたんだと思わないでください😂
先にまとめちゃうと正社員を目指してから4年の日々を過ごしたというお話です。
当時の僕自身の感覚を言葉にすると先が見えなかったので長いとか短いとかの感覚が無かったんです。
ひたすらマラソンしていると言えば伝わりやすいんでしょうかね。
修行と銘打っていますがこれは完全に後付けです。
当時は修行している感覚は0でしたし、まだかまだかという思いしかなかったと思います。

当時僕がちょうど正社員にシフトする方向でいた時に掛け持ち先のファミレスがかなりの人員不足問題を抱えていました。
そのときはたまにシフト入りするレアキャラ扱いだった僕なのですが、人員建て直しの一環としてそこをメインにして正社員雇用に辿り着こうと考えました。
大手企業という事もあったので雇用の安心感はダントツだったというのもあります。
そのファミレスではアルバイトにランクがあり、僕は中間くらいのランクに留まっていたのですがまずはそれを最高位のランクまで上げる事というのが雇用の条件として提示されました。
そこから1年程普段の業務に加えて、料理長業務のアシストも教えてもらいながらがむしゃらに働き続けていました。
その間も人員不足問題は解消したりしなかったりを繰り返していて、気付けば2年は経過していましたね。
最高位のランク昇格のためには自身の取り組みの成果を会議場でプレゼンするという経験をし、2年経ちようやく昇格に辿り着けました。
もう正社員になれると多少浮かれていたのですが、経験値がまだ足りていないだろうという判断からさらに上のランクの副料理長を目指す事になります。
おいおい話が違うじゃないか?と今では思うのですが、当時の自分は素直に受け入れていました。
他にアテが無いというのもありましたし、何よりやってきたことをリセットして次を探すという気力が当時は空っぽでした。
ただそこからはとんとん拍子に事が動いていきました。

料理長とほぼ同じような業務を一緒に行っていきその取り組みをプレゼンし1年程で副料理長に昇格、そしてそこから1年経ちキャリア入社に辿り着きます。
結果2年は経過しているのですが、ゴールが見えているというのもりその時の心境としてはあまり苦ではなかったです。
当時はコロナ化でその打撃をもろに受けていたのもあり、すぐに正社員雇用が難しいという事は肌で感じていたというのもありました。
今となっては人員不足問題の解消の起点が僕であったので正社員雇用してしまうと異動するという事になる(人件費の予算の兼ね合いから店舗に社員の配置は上限があるため)ので踏み出しづらかったのだろうなと思います。
コロナ化になり人件費もよりシビアになったタイミングもありようやくそこで異動が告げられます。
振り返るとコロナに良い思い出はありませんがこの時ばかりは自分にとっては運が良かったなと思いますね。
2.想像をはるかに超える仕事

異動をするとその店舗先では料理長代行というポジションになります。
料理長ではないのですが実質料理長と同じように店舗の運営を携わっていくということです。
初めての異動で全く知らない面々と一緒に働いていくことになるのですがそれはそれですごく刺激がありましたね。
コロナ化でかつ人員もままなっていない状態での異動でしたが初めてだらけで何をしても新鮮で刺激になるので身の周りは暗いニュースばかりでしたがそれなりに楽しんでいました😀
ただ仕事量はフリーターとして過ごしていた時よりはるかに上回り、時間が足りないという状況はとても多かったです。
特に従業員のシフト作りは一番癌でした。
自分の出勤時間、休日はこのシフトの作り次第で左右されると言っても過言ではないくらい重要で、当初は他店舗からヘルプをいただいてのやりくりでなんとかその日を乗り切っていた状況でした。
人員不足問題の場合まずは新しい従業員を採用していくことがまず先決なのですがそもそも応募の連絡も無い状態です。
異動して1か月程は何も手が打てない状況下での勤務でした😨
当時は時短営業の真っ只中というのもあり、時間を何とか作って事務作業などありつけていたのですが通常営業下だったらと思うと想像もしたくありません😂
3.自分の限界を知る

異動して1か月程でお題の通り僕の限界を知りました😂
とにかく自分自身じゃどうにもならないことが無数に存在するんですよね。
シフト作りも従業員1人、1人のスケジュールが束になって初めて自分の勤務時間と休日が決めていけるように従業員を「この日、この時間で勤務」と機械的に決めれませんし強制は出来ません。
ようやく採用出来たとしてもやはり能力には個人差があり合わない人は辞めてしまいます。
挙げればキリがないのですが自分自身でどうにかなることは何も無いなとすぐに悟りました😅
とにかく働いてくれる従業員の存在が仕事を円滑にする鍵なんですよね。
当たり前に聞こえると思いますがこの当たり前が崩れると一気に自分に跳ね返ってきます。
「時間に追われて、営業にハマりっぱなしで事務作業もままならない」この状態はお店にとっても自分にとっても何も良い事のない負の連鎖が起きるんです。
綺麗事ではなく従業員を大切にし一緒に働いていても楽しいと思ってもらうことが問題解決の突破口だと気付いた事で、そこからは従業員とのコミュニケーションやシフトの交渉など今まで意識したことのない働き方のフェーズに突入しました。
4.まとめ
・約4年の修行を経て
・想像をはるかに超える仕事
・自分の限界を知る
いかがだったでしょうか。
今回のお話は自分の根幹の部分でもあって、その後のタイミーの運営や利用にも繋がってくる経験なんですよね。
異動当初から何とか踏ん張れたのは間違いなくあの4年間の土台があったからでした。
ほとんど料理長と同じような事を事前にアルバイトで培っていたから状況に戸惑いながらも対応出来たと思っています。
なので修行だったんだなと都合よく解釈してます🤣
まだまだ修行のような日々は続いていくのですがそのお話は次回に続させていただこうと思います。
昔話にお付き合いいただきありがとうございました😂